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先日の続き

つーわけで今日一人放送やります、十時ぐらいから枠取れ次第、かな

以下、昨日の続き
後半と言いつつ全然分量が半分じゃないや;


 で、だ、陸の上で強いイタリア指揮官という貴重な存在であるモンテフェラート侯コンラード。彼は、イェルサレム陥落の後に、ティールを守っていた。そう、サラディンが唯一放置したあの都市だ。
 サラディンは捕虜を殺さずに解放したから、そういう人々がティールにどんどん集まっていった。しかもティールは港町だから、陸上を封鎖されても、船で物資を運べるから補給の心配がない。
 いつの間にやら、ティールはコンラードという優秀な指揮官と、大軍によって守られた難攻不落の要塞と化していた。コンラードはイスラム側から恐れられ、アル=マルキシュと呼ばれるようになった。
 結局、ティールは落とせないまま月日が過ぎる。

 そしてとうとうフリードリヒが20万とも言われる大軍を率いて中東にやってくる……しかし、不幸なこの皇帝は、川で溺死してしまう。結局、十字軍国家と合流したドイツの騎士達は1000人程度だったという。これが、後のドイツ騎士団、ひいてはプロイセンの祖となる人たちだ。

 さて、イングランドとフランスの王。彼らはコンラードが死守していた港町、ティールを拠点として上陸する。イギリスとフランスが仲が悪いのは、キタユメさん本家を見てれば分かると思うけど、この時もイギリスとフランスは喧嘩してました。アホらしい話ではあるけど、両国の王様の嫁のことで。

 リチャードとフィリップ、そしてレオポルトはアッカっていう都市の包囲を始めて、ここを陥落させるんだけど、実質上ドイツ人の司令官となっていたレオポルトが他の二人と同じ扱いを要求したのに、リチャードが彼の旗をたたき落としたからレオポルトは怒ってかえってしまう。フィリップも、元から仲が悪かったリチャードにこれ以上付き合う義理はない、として帰国。結果的に、一部のドイツ、フランスの兵士と、現地の十字軍国家の兵、イングランド軍だけがサラディンと戦うことになる。

 アッカを落としてすぐ、フランスとイギリスがギスギスしてたから、十字軍の中でもこんなアホ二人よりコンラードをリーダーに!って声が高まった。リチャードは旧臣だったギーをそのままイェルサレム王にしようとするんだけど、コンラードと会ってその人柄を知ってコンラードがイェルサレム王になることを承諾したと言われている。こういうときは、リチャードは結構器の大きい男だ。
 しかし、コンラードは暗殺教団の凶刃に倒れてしまう。これが十字軍側の依頼だったのか、イスラム側の依頼だったのかは未だに分かっていない。

 結果的に有能な指導者を次々と失うことになった十字軍は、それでもリチャードの指揮のもと、海沿いの都市を次々と奪取していった。このまままっすぐイェルサレムに向かえば補給線が伸びる。通常ならそれでも問題ないのだが、補給を担っているのはあの油断のならないイタリア商人達だ。フィリップも裏で何をしているか分からない。だから、出来る限り陸上での補給線を短くするために、港町から攻めていったのだ。戦争に限ればリチャードは頭の良い男だった。

 しかしイスラム側も手をこまねいて見ていたわけではない。サラディンも出来る限りの軍勢を集め、リチャードに対抗し、聖地一歩手前でリチャードを留まらせる。以降、一進一退が続き、リチャードもマラリアにかかってしまう。この時、サラディンがリチャードに見舞いを届けた話は有名だ。

 そして一年以上に渡る話し合いの場がもたれ、結果的にリチャードはサラディンと休戦協定を結んで帰国する。イェルサレムは、イスラム教徒の統治下に置かれるが、非武装のキリスト教徒の巡礼は許可する、という内容だった。

 「キリスト教徒一の騎士」とイスラム側から称えられたリチャード、「騎士道の鏡」とキリスト教側から称えられたサラディン、二人の英雄が、和議を結んだことは十字軍の歴史にとって大きな転換点となる。しかしこれはまだ、戦いの末の和議にすぎなかった。

 真なる和平が短期間であれ成立するのは、中世最大の英帝、フリードリヒ二世と、サラディンの甥、スルタン・アル=カーミルの歴史の表舞台への登場まで待たねばならない……

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